2013-10-22 第185回国会 衆議院 予算委員会 第3号
私も、数年前、タイのチェンマイに行った際に、そこに、井戸にたくさんの日本人の遺体を、とりあえずその中に葬っていただいた、それはタイのお坊さんたちにやっていただいたわけでありますが、その維持管理を、実は日本の仏教界の方々がボランタリーにやって今日に至っているわけでございますが、そこには政府からも、昭和天皇の御製を刻んだ鐘が寄贈されていたわけでございます。
私も、数年前、タイのチェンマイに行った際に、そこに、井戸にたくさんの日本人の遺体を、とりあえずその中に葬っていただいた、それはタイのお坊さんたちにやっていただいたわけでありますが、その維持管理を、実は日本の仏教界の方々がボランタリーにやって今日に至っているわけでございますが、そこには政府からも、昭和天皇の御製を刻んだ鐘が寄贈されていたわけでございます。
そして、こういったことに対して、今お坊さんたちもいらっしゃいますが、実は前回ここに参加された、朝鮮王室儀軌早ければ来月末に戻ってくる、聯合ニュース、四月二十五日の配信です。
要するに、いろいろな文化財があるでしょう、日本にもあります、韓国にもあります、今回はこれで終わりじゃなくて始まりだということを言っているわけで、もともとこの運動というのは、あの皆さん方、お坊さんたちも、私が外務委員長のとき、私のところにも来られました。それが発端で韓国は国会決議もしました。そして、韓国政府からの要請がありました。そもそも民間運動から始まっているんですよ。
あるお坊さんたちが手紙の文通での支援をやっていることなどが紹介されていますが、周りがやはり気づいていく。「お父さん眠れてる?」というのも、家族が気づく、そういうことでキャンペーンを身近なところに置きました。委員御指摘のとおり、さまざまあると思います。
これは、親やおじいちゃんやおばあちゃん、近所のおじさんやおばさんやお寺のお坊さんたちがしつけをすると。幼いときは人間として生きていく基本の形をはっきりと教えるのが小学校以下ですね。じゃ、中学。中学となると、自分と社会や国や世界との関係を教えればいいんだと。じゃ、高校生は志を教えるんだと。
だとすれば、教育改革国民会議、この種の会議とか委員会とか審議会というのはどれだけあるかわかりませんが、きのうも新潟県警の問題で中坊さんたちにお願いして何かつくると。私は言ったんですよ、一番わかっている警察庁がこういうふうに変えますというのがなぜないんですかと。 私は、教育もそうですが国民運動を徹底することだと思うんですね。教育委員会が、文部省が一番わかっているんです。
つまり我々の精神生活でございますが、例えば仏教といったようなものを取り上げてみましても、これも御存じのように北インドから中国を経て日本に来たものでございますし、仏教を日本に持ってくるに当たって大陸からのお坊さんたちが日本に永住をなさったというような記録もたくさんございます。私どもの使っている文字自体もそうでございまして、古代の日本には文字がございませんでした。
この人たちは種々の理由によりましてイランの回教シーア派のお坊さんたちの、一口で言うと宗教界の影響が非常に強い。現にパーレビ王朝を打倒いたしました革命も、この階層の人々が何百万人といったようなデモを行ってやったことが結局その直接の力であったことは御存じのとおりでございます。
向うに送って行くその坊さんたちに対して、私どもは些少であるけれどもお布施を包んで今まで再三やってある。外務省としては人道上の問題であるからと言って、大へんりっぱなことを言いなさるけれども、今まで再三中共に遺骨を送って行っておりましたが、その際にどれだけ尽していなさったか、それをお伺いいたしたい。
何を申しましても、昔の坊さんたちは俗界を離れることを理想といたしておりまして、今日まで保護建造物といわれたそういうりつぱなものは、山の奥にあるとかあるいは離れ島にあるとかいうことが多いのであります。非常な山の上にあつて火災予防等についても困る。
しかも政党政派はたいへんきらいでございますから、政党政派に関係のない日蓮宗のお坊さんたちが、この気の毒な状態を見かねまして、断食までして解決を待つているのが現実でございます。
以上が、私の今までに現地へ行つて見た状況でございますが、その後依然真剣にこの反対運動が続けられて、日連宗のお坊さんたちは、すでにきようまで約十七、八日間絶食をやつております。あと一週間で生命の危険がある。赤ではなくて日蓮宗の宗徒が立つておる、こういう結果をお考えになりまして、これからのしまつをどうつけて行くかということについて、主任大臣としての御見解を承りたいのであります。
第十一世紀のお坊さんたちの著作だつてそうでございます。それからアメリカの独立宣言、フランス革命の文書、これら無数にございます。これらのものが我々の手に入らないということになつて参りますと、歴史の学問、研究というふうなことさへ困難になつて来る状態になることは十分に予想できないわけではないと思えるのであります。